書評『水色時代

              作品名:「水色時代」(小学館 ちゃおフラワーコミックス)
              作者名:やぶうち優 先生

              書評者:林原 蛍一
 

−作品について

 真っ白な子供時代から青春時代の間の時代。
その時代は、からだの成長への戸惑い、友達関係での悩み、など
子供から大人になるために、誰もが通る、避けては通れない、身心的に不安定な時代。
でもなく、でもない、中間的な、いわゆる思春期な時代。
そんな時代を「水色時代」と呼んだ作者様は凄い感性だなぁ、と思いました。
白色と青色の絵の具を混ぜれば水色になるのは、皆さんもご周知のことだと思いますが、
この作品が出るまで、その時代を「水色時代」とは言う人は居なかったと思います。

 ボクがこの作品に出会ったのは、忘れもしない大学3年生の冬、大学帰りの阿倍野ユーゴ書店
の5階にあった、アニメイト阿倍野店の本棚で見かけたコミックス1巻でした。
 その当時は、少女漫画なんてあまり見てなかったわけですが、なんとなく新刊コーナーをふらついて
いて、パッと絵柄を見て「可愛い〜」と思い買ってしまったという、今で言う、「表紙買い」だったわけです。
 その後、2巻3巻の表紙で、さらに萌え悶えた、ということは言うまでもありませんが(w
           ・   ・

−「河合優子」は優しい子?

 「河合優子」は、言うまでもなく、この作品のヒロインです。
彼女が成長するプロセスを、この作品で垣間見ることができます。

 彼女は、たまに「嘘」をつきます。
「嘘」は、「嘘も方便」的な善意の嘘と「人を陥れよう」的な悪意の嘘の2通りがありますが、
彼女の場合は前者の方だと思われます。ただ、他人から見れば、「自分が傷つきたくない
だけのいい子ブリッ子」になってしまうわけで。
友人と争いたくない、友人同士が争って欲しくない、という思いから、それぞれ相手に話を合わせて、
周りから見れば矛盾したことを言ったりするわけですが、それは「彼女なりの優しさ」なのでしょう。
しかし、自分の意見や主張を押し殺してまで、相手の顔色を見て話をされている、相手の立場
からすれば、腹が立つのも当然です。
ボクは、そんな優子ちゃんを今まで「可愛いし、優しい娘なんだなぁ・・・」と共感しておりました。
でも、最近その考えも変わってきました。いや、基本的には「優しい娘」だと思います。
ただ、「彼女なりの優しさ」が、時には他人を傷つけ、更に自分を傷つけてしまうわけで、
それがマイナス面となるわけです。そのマイナス面が「自分の弱さ」です。

 人間、交流を深めようと思えば、時には「ぶつかること」も必要です。
ぶつかって、理解が得られないのであれば、交流を断ち切るというのも、ひとつの選択肢だと思います。
彼女は、それが怖かったのだろうと思います。それは、ボクにも経験のあることで、気持ちは痛いほど
わかります。しかし、それでは、人間は成長しない。ましてや交流も深まりません。
「彼女なりの優しさ」は、人から見れば「欺瞞」や「偽善」であるかもしれず、交流の阻害となります。
そのことを、彼女の友人であるタカちゃんや北野さん、幼馴染みの博士くんとのやりとりで気付いた
わけですが、他作品を引き合いに出して申し訳ないのですが、柊あおい先生の「星の瞳のシルエット」
のような、ハードな修羅場ってのが無かった分、読みやすかったですね。
そういや、「星の瞳〜」の沢渡香澄嬢とも性格が似てますね・・・ボクはそういう娘に惹かれる運命に
あるのでしょうか?(w

 それはさておき、この時分の少女漫画では、こういった性格のヒロインを見かけます。
今まで読んだり見たりした少女漫画の中では、特異なタイプになるんでしょうが、でも日常的に、
すぐ側に居る、どこの組織でも見かける、身近な存在じゃないかと思ったりします。


−まとめ

 昨今の少女漫画では、「恋愛」が主体のストーリーが多いですが、それをベースに置いた上で、
「自分の意志が伝えられない娘」の話しというのは興味深いです。彼女たちにすれば、たまたま
仲良くなった友人たちのパワーに押されて、流されてしまっている、というのが本音なんでしょうが、
「自分の我」をちゃんと持ち、人の意見も聞きつつ、自分の意見も主張し、その中で良いシナリオを
共に選ぶのが「友達」と言うものです。確かに「自分の我」を通しまくり、他人の意見をまったく聞かない、
またはその時は聞くけど、「喉もと過ぎれば何とやら」では、交流どころか、ついてくる人が居なくなるのは
当たり前です。それは、どの世代でも、どんな組織でも同様です。
 「恋愛一辺倒」なストーリーも、思春期の頃の「ときめき」を思い出させてくれ、なかなか良いものだと
思いますが、たまには、人間同士の交流や、ふれあいを描いた作品も見てみるのも、自分にとって
マイナスにはならず、逆にプラスになり、得るものも多いかと思います。
 そういう視点で見ると、「水色時代」は、ただの「恋愛漫画」、「思春期の女の子がわかる漫画」だけでは
なく、 立派な「哲学的な少女漫画」、ということにもなると思うのですよ。
 購入当時は、前者2つしか眼中になくどういう思いで買っていた訳かはさておき、最近そう思えるように
なりました(苦笑)

 「人は、一人で生きていけるものではありません。
 いろんな人との交わり、支えがあって、初めて生きていけるのです。
 また、自分も他人にその手を差し伸べることにより、生きていけるのです。
 そのことを、そのありがた味を忘れてはいけません。」

 

《完》

 「少女漫☆店。」第2号 に戻る